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焼けた?瓦出土、本能寺の変「史実を裏付ける貴重な発見」

 戦国武将、織田信長が明智光秀に討たれた「本能寺の変」(1582年)
 で焼けたとみられる大量の瓦や、寺の堀跡、石垣などが京都市
 中京区の旧本能寺跡で見つかった。本能寺の変を巡る遺物、
 遺構が発見されたのは初めてで、発掘した民間調査機関
 「関西文化財調査会」は「史実を裏付ける貴重な発見」と
 している。
 マンション建設に伴い約130平方メートルを発掘。1545年の
 古文書で、寺が調査地点一帯の土地を購入したとの記録が
 残っている。
 堀跡は幅約6メートル、深さ約1メートル。一部には約2メートル
 にわたる強固な石垣跡も出土した。

そうなのか。
本能寺は堀や石垣が強固なつくりだったそうだ。それはそれとして、
記事としてはそこまでしか書かれていないようだが、だから何が
言いたいのだろうかというところがいまいちだな。

Wikipediaによると、
「光秀は1万3000の手勢を率いて丹波亀山城を出陣し」
「信長は29日に自ら秀吉の応援に出陣するため小姓を中心とする
 わずかの供回りを連れ安土を発つ。」

信長勢は、多めに見積もっても100名は越えないだろう。とすると、
人数差としては、13000:100では、いくら2mの石垣があったとしても
時間の問題だろう。守り手の人がいなければ、上り放題、越え放題
だもんなぁ。
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「世界最古のメロン」が出土

 弥生時代中期の大型環濠(かんごう)集落として知られる滋賀県
 守山市の国史跡・下之郷遺跡(紀元前2世紀~同1世紀)で、
 果皮や果肉が残ったウリ科植物の果実の一部が出土し、DNA
 鑑定などの結果、遺跡と同時代のメロンと確認された、と
 市教委が31日発表した。専門家は「中国の遺跡で紀元300年
 ごろの果皮の出土例があるが、今回はさらに古く、世界最古
 ではないか」としている。

ウリ科っていうから、スイカやひょうたんもウリ科だそうだが、
そのあたりなら判るが、メロンなんだ。そんな昔からメロンが
日本にもあるとは知らなかった。
まあ、マスクメロンのようなヤツではないそうだが。

しかし、化石や骨のようにいかにも残りそうな物とは思えない、
果実の一部である果皮や果肉が残っているのは面白い。
紀元前300年頃だから、2300年前のものなわけだ。
必ずしも、みんな残るわけではなく、特殊な条件がそろっての
ことなんだろう。過去からのメッセージというか、まさに自然の
タイムカプセルな訳だな。
あすの天気は… 気象神社がホームページ おみくじも

 あした天気になあれ――。日本で唯一「天気の神様」を祭る
 気象神社(東京都杉並区)が、6月1日の気象記念日を前に
 ホームページ(HP)を開設した。サイト内には、気象に関する
 コラム付きのおみくじコーナーも設け、「より身近な神社」を
 目指している。
 氷川神社の境内にある気象神社。祭神「八意思兼命
 (やごころおもいかねのみこと)」は、神話で天の岩戸に隠れた
 天照大神(あまてらすおおみかみ)を表に出す方法を考えた
 知恵の神として知られる。

知恵の神といわれる思兼神を祭神としている主要な神社は、
埼玉県の秩父神社や長野県の阿智神社が挙げられているが、
なぜ気象に携わる神社の祭神になったのだろうか。ちょっと、
不思議である。
天岩戸に隠れた天照大神を表に出す方法を考えたというところから、
晴れを導き出す→好天を導く神様ということなんだろうか。

しかし、この気象神社はもともと、

 「晴、曇、雨など8つの気象現象の制御を祈願する神社」
 として、第2次大戦中の1944年に陸軍気象部内に造営

されたというのは、ちょっと驚きだ。ある意味戦争の遺産というか
なごりというか。しかも、1944年ということは終戦の1年前になる
じゃないか。まさに神頼みだったということか。

気象神社Web
お殿様の「へそくり帳」家老にも秘密 尾張徳川家

 尾張徳川家の藩主のために、公の会計とは別に重臣が内密に確保
 していたお金の帳簿が、「徳川林政史研究所」(東京都豊島区)
 の保管資料から見つかった。今で言うならお殿様の
 「へそくり帳」。発掘した徳川美術館(名古屋市東区)の志賀太郎
 学芸員は「藩主の懐事情がうかがえる珍しい資料」と話している。
 帳簿は「御印帳」と名付けられて保管されていたが、中身は精査
 されていなかった。

記録が残っているのが、1730~1755年までで尾張藩の6代から8代
までの間の記録だそうだ。7代目の宗春というのは、徳川8代将軍
吉宗が倹約を目指す中、対抗して派手を好んで浪費を行っていた
というあの人だが、そんな人もへそくり帳をつけていたなんて
意外だ。いやいや、そもそもお殿様とへそくり帳という言葉が
全く結びつかないんだが。

宗春時代に書かれた覚書というのもあって、

 藩のお金が不足しても、領民を救済するときの手当てを失うこと
 になるから、この金銀で穴埋めするようなことをしてはいけない

ということも書いてあるらしい。
ナポレオンは毒殺ではなく死因は胃がん=軍隊食も大きな原因

 【パリ17日】フランス皇帝ナポレオン1世の死因については、
 長らく毒殺説、病死説の論争が続いているが、米研究者が死因は
 胃がんであり、フランス軍隊の食事もその一因だと結論付ける
 論文を発表した。(写真は、ナポレオン1世の肖像画)
 米の研究チームは、ナポレオンの解剖記録などを検討した結果、
 フランスなどで今なお強く信じられている、ナポレオンは大西洋
 のセントヘレナ島に幽閉された際に英国によって毒を盛られ、
 1821年に51歳で死んだとの説にはまったく根拠がないこと
 が分かったとしている。

まあ、胃がんというのはありそうな死因だよなぁ。
写真とかあるわけでも無さそうなので、公式検視書という文書か
イラストでそのように判定できるというのもすごいと感心する。

しかし、軍隊の食事に塩漬けの保存食が多くて野菜が少ないから
って潰瘍や胃がんになりやすいというのは、確かにそうかも
知れないけど、単純すぎやしないだろうか。当時の軍人は、みんな
胃がんや胃潰瘍だったと言うことなのか?

で、髪の毛から検出されたという砒素についてはどうなのよ、
という疑問は残ったままの気が・・・
と思ったら、別紙の方には、

 当時はワイン樽(だる)をヒ素で消毒したとされており、
 毒殺は考えにくいという。

なるほど、ということは当時の人みんな髪の毛から多量の砒素が
検出されるんだな。しかも、ピロリ菌とは。今も昔も変わらないね。

ナポレオン、ピロリ菌に感染? 米研究者「死因胃がん」
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